神奈川県立横浜翠嵐高校を、1985年に卒業した大人達の為の情報を載せていきます。 連絡はこちらまで↓ yokohamasuiran1985★★★ (★★★は@gmail.comに変更してください) もしくは幹事団までお願いします
スキー部の2025合宿が1月25日と26日の2日間、新潟県の苗場スキー場で開かれました。部員13人と配偶者1人の14人が、80年代スキーブームの聖地を堪能。インバウンドで大盛況の苗場プリンスで飲めや踊れやの大騒ぎでした。
秋から計画立てて、A井完部長とN子添乗員が人数取りまとめてパック予約してくれました。新幹線代に送迎バスにリフト券2日、一泊二食で4万なんぼ。東京駅に9人が6時半集合でした。車利用はA場号に3人とМ松夫妻の5人。筆者は東急江田駅05:10の始発でしたが、車組はもっと早く出てきたようですね。
新規メンバーはブラバンT田たまきさん、I村みちよさん、ワンゲルI塚くん、軟庭T樫くん、それにМ松夫妻でした。みんな昔は結構鳴らしたクチで年季の入ったウエアです。大宮の次の停車駅が越後湯沢で08:10着。東京からわずか66分の乗車でした。天気上々で日光連山も赤城山もバッチリ。越後湯沢の盛況ぶりには目を見張ります。大半が中国朋友。ファミリーで春節先取りしてるようでした。
越後湯沢駅からは路線バスかシャトルバス。路線バスは東急バスのお古でしたが、うちらは西武マークのプリンスシャトルを選択しました。雪景色に心が躍ります。30分ほどでプリンスが見えてきました。私は38年ぶりかな。外観はさすがに傷みが見えますが、賑わってます。皆さんはレンタルスキーに並んでましたが、スキー担いで行った私は、さっさとリフト券もらってゲレンデへ。2本ほど先に滑って、ここまでの労賃を回収しました。
М松夫妻も本隊と合流して、ゴンドラに大勢で並びます。ここで私がスキーを外した際にバキッと音がして、黒いプラスチック片が雪上に。「うわ、板ぶっ壊れた」と思いきやビンディングには異常ありません。ブーツも装着できました。プラ片は別の人のだなと、ゴンドラに乗りました。後でブーツの底が崩壊していたことがわかりました。20年前のブーツだから経年劣化か。とりあえず滑走に支障はありませんでしたが、先に滑ってたバチが当たりました。買い替えたら高そうです。
ゴンドラで頂上駅に着いて中級スロープでまずはみんなで雪の感触を確かめました。ブラバンのI村さんは相当久しぶりのスキーでしたが、悠々と滑って無事リフト乗り場に着きました。そこへ背後から、止まり損ねた若い男がドーン。I村さんが転倒して緊張が走りました。介抱して幸い大怪我はなさそうでした。男は言葉が通じません。謝っている様子はありましたが、I村さんに後から症状が出た時のために、連絡先を知りたいところ。なのに言葉が通じない。さりげなく何人かが男の写真を撮りました。貸しスキーの番号で特定できるはずだと、さすがタマキさんでした。
ランチにプリンスホテルのレストランに集まることになりました。山頂から長い道のりで、ところどころ急斜面もありました。いつしか2集団に分かれてしまって、第1集団はレストランに着いてランチビール。1900円のバイキングをスタートしましたが、なかなか第2集団が来ません。第1集団が越後限定「爽快ニシテ」ビイルをお代わりした頃、やっと後続が着きました。何でも、K野貴光&A根悟コーチの熱血指導を受けていたんだそうです。松岡修造ばりの指導に生徒たちは感謝の言葉を口にしておりました。バイキングは第一集団がエントリーした時に時計がスタートしていて、持ち時間が短くなってすみません。なお、前日に食あたりを起こしてホテルでダウンしていたK田のりこさんもここで合流しました。
昼メシの後も何本か滑って、早めに上がりました。さっさと温泉入りたいという声が強かったので。プリンスの部屋割りは完部長とのりこ添乗員が完璧に作ってくれていました。4、3、3、2、2人に分かれてチェックイン。男子は内風呂の苗場の湯でしたが、女子はちょっと離れた露天付きの火打の湯で由美かおるになってました。おかげでМ松さん以外の女子3人を、レストラン前の階段で待つことになりました。11人で待ってると行列だと間違われて、後ろに人が並んでしまうので困りました。
晩ご飯は大混雑のレストランで、14人が固まって席を予約することができました。バイキングに飲み放題付きで、飲んべえたちの目の色が変わります。食事も和食、中華、イタリアン、インドと何でもござれ。豚の角煮が特にうまかったな。飲み放題はドリンクコーナーまでもらいに行くシステムなんですが、我々の与えられた席はドリンクコーナーまでえらく遠いことに気づきました。これは飲み放題客にガバガバ飲まれないようにする作戦か。そんなハードルをものともしない私たちは遠路何往復もしたのでした。
晩飯の後は部屋飲み。私と赤根、飯塚、富樫の4人部屋が連合軍によって接収され、14人の大宴会が始まってしまいました。のりこ添乗員が抱えてきた越後の日本酒が主役です。ここでは、「はい、よろこんで」のダンスを披露する者、大股開きの悩殺ポーズを取る者、人の背中に馬乗りになって制裁を加え始める者などが続出。おなかの皮がよじれる騒ぎとなってしまいました。
秋から計画立てて、A井完部長とN子添乗員が人数取りまとめてパック予約してくれました。新幹線代に送迎バスにリフト券2日、一泊二食で4万なんぼ。
返信削除東京駅に9人が6時半集合でした。車利用はA場号に3人とМ松夫妻の5人。筆者は東急江田駅05:10の始発でしたが、車組はもっと早く出てきたようですね。
新規メンバーはブラバンT田たまきさん、I村みちよさん、ワンゲルI塚くん、軟庭T樫くん、それにМ松夫妻でした。みんな昔は結構鳴らしたクチで年季の入ったウエアです。大宮の次の停車駅が越後湯沢で08:10着。東京からわずか66分の乗車でした。天気上々で日光連山も赤城山もバッチリ。越後湯沢の盛況ぶりには目を見張ります。大半が中国朋友。ファミリーで春節先取りしてるようでした。
返信削除越後湯沢駅からは路線バスかシャトルバス。路線バスは東急バスのお古でしたが、うちらは西武マークのプリンスシャトルを選択しました。雪景色に心が躍ります。30分ほどでプリンスが見えてきました。私は38年ぶりかな。外観はさすがに傷みが見えますが、賑わってます。皆さんはレンタルスキーに並んでましたが、スキー担いで行った私は、さっさとリフト券もらってゲレンデへ。2本ほど先に滑って、ここまでの労賃を回収しました。
返信削除М松夫妻も本隊と合流して、ゴンドラに大勢で並びます。ここで私がスキーを外した際にバキッと音がして、黒いプラスチック片が雪上に。「うわ、板ぶっ壊れた」と思いきやビンディングには異常ありません。ブーツも装着できました。プラ片は別の人のだなと、ゴンドラに乗りました。後でブーツの底が崩壊していたことがわかりました。20年前のブーツだから経年劣化か。とりあえず滑走に支障はありませんでしたが、先に滑ってたバチが当たりました。買い替えたら高そうです。
返信削除ゴンドラで頂上駅に着いて中級スロープでまずはみんなで雪の感触を確かめました。ブラバンのI村さんは相当久しぶりのスキーでしたが、悠々と滑って無事リフト乗り場に着きました。そこへ背後から、止まり損ねた若い男がドーン。I村さんが転倒して緊張が走りました。介抱して幸い大怪我はなさそうでした。男は言葉が通じません。謝っている様子はありましたが、I村さんに後から症状が出た時のために、連絡先を知りたいところ。なのに言葉が通じない。さりげなく何人かが男の写真を撮りました。貸しスキーの番号で特定できるはずだと、さすがタマキさんでした。
返信削除ランチにプリンスホテルのレストランに集まることになりました。山頂から長い道のりで、ところどころ急斜面もありました。いつしか2集団に分かれてしまって、第1集団はレストランに着いてランチビール。1900円のバイキングをスタートしましたが、なかなか第2集団が来ません。
返信削除第1集団が越後限定「爽快ニシテ」ビイルをお代わりした頃、やっと後続が着きました。何でも、K野貴光&A根悟コーチの熱血指導を受けていたんだそうです。松岡修造ばりの指導に生徒たちは感謝の言葉を口にしておりました。バイキングは第一集団がエントリーした時に時計がスタートしていて、持ち時間が短くなってすみません。
なお、前日に食あたりを起こしてホテルでダウンしていたK田のりこさんもここで合流しました。
昼メシの後も何本か滑って、早めに上がりました。さっさと温泉入りたいという声が強かったので。
返信削除プリンスの部屋割りは完部長とのりこ添乗員が完璧に作ってくれていました。4、3、3、2、2人に分かれてチェックイン。男子は内風呂の苗場の湯でしたが、女子はちょっと離れた露天付きの火打の湯で由美かおるになってました。おかげでМ松さん以外の女子3人を、レストラン前の階段で待つことになりました。11人で待ってると行列だと間違われて、後ろに人が並んでしまうので困りました。
晩ご飯は大混雑のレストランで、14人が固まって席を予約することができました。バイキングに飲み放題付きで、飲んべえたちの目の色が変わります。食事も和食、中華、イタリアン、インドと何でもござれ。豚の角煮が特にうまかったな。
返信削除飲み放題はドリンクコーナーまでもらいに行くシステムなんですが、我々の与えられた席はドリンクコーナーまでえらく遠いことに気づきました。これは飲み放題客にガバガバ飲まれないようにする作戦か。そんなハードルをものともしない私たちは遠路何往復もしたのでした。
晩飯の後は部屋飲み。私と赤根、飯塚、富樫の4人部屋が連合軍によって接収され、14人の大宴会が始まってしまいました。のりこ添乗員が抱えてきた越後の日本酒が主役です。
返信削除ここでは、「はい、よろこんで」のダンスを披露する者、大股開きの悩殺ポーズを取る者、人の背中に馬乗りになって制裁を加え始める者などが続出。おなかの皮がよじれる騒ぎとなってしまいました。