神奈川県立横浜翠嵐高校を、1985年に卒業した大人達の為の情報を載せていきます。 連絡はこちらまで↓ yokohamasuiran1985★★★ (★★★は@gmail.comに変更してください) もしくは幹事団までお願いします
吹奏楽部の高橋潤くんが交通事故で亡くなって今月24日で17年になります。今週、潤くんの長男・源くん(25)から便りがありました。当時、同期有志24人の寄稿をまとめて作った追悼文集の存在を知って、「居てもたってもいられず」メールをくれたそうです。源くんは地元広島県で起業しています。起業家としての紹介記事には、潤くんの面影と、育ててくれた母親への感謝の両方があふれています。https://www.storehouse-fukuyama.com/?p=85 コメント欄もご覧ください。
メールによると、源くんは大学在学中に地元の広島県福山市で、働く女性のサポートを目的にしたシェアスペースやカフェを起業しているそうです。潤くんの奥さんの話では、長女を含む3人はずっと順くんが生きているイメージで暮らして来たので、子供には追悼文集の存在は秘してきたということでした。しかし、この6月10日に源くんが結婚することになり、文集を二人に初めて見せたそうです。源くんのメールを引用します。私と父の時間は8年でした。幾つかの思い出すことのできる記憶はあれど、こうして文集を通して知る情報の方が沢山あります。父との時間を記録に残してくれたことに心から感謝します。私は今日もこれからも本当に幸せです。~中略~ただ、皆様に感謝が伝えたくて連絡した次第です。いつかお会いできる機会があれば嬉しいです。皆様に宜しくお伝え頂ければ恐縮です。こんな立派なあいさつのできる大人になってくれたことで、潤くんも安心していることでしょう。また、長女も4年前に結婚して、2人の男の子が生まれています。いつの間にか、潤くんはお祖父ちゃんになっていました。
メールによると、源くんは大学在学中に地元の広島県福山市で、働く女性のサポートを目的にしたシェアスペースやカフェを起業しているそうです。潤くんの奥さんの話では、長女を含む3人はずっと順くんが生きているイメージで暮らして来たので、子供には追悼文集の存在は秘してきたということでした。しかし、この6月10日に源くんが結婚することになり、文集を二人に初めて見せたそうです。源くんのメールを引用します。
返信削除私と父の時間は8年でした。
幾つかの思い出すことのできる記憶はあれど、
こうして文集を通して知る情報の方が沢山あります。
父との時間を記録に残してくれたことに心から感謝します。
私は今日もこれからも本当に幸せです。
~中略~
ただ、皆様に感謝が伝えたくて連絡した次第です。
いつかお会いできる機会があれば嬉しいです。
皆様に宜しくお伝え頂ければ恐縮です。
こんな立派なあいさつのできる大人になってくれたことで、潤くんも安心していることでしょう。また、長女も4年前に結婚して、2人の男の子が生まれています。いつの間にか、潤くんはお祖父ちゃんになっていました。