神奈川県立横浜翠嵐高校を、1985年に卒業した大人達の為の情報を載せていきます。 連絡はこちらまで↓ yokohamasuiran1985★★★ (★★★は@gmail.comに変更してください) もしくは幹事団までお願いします
その日は、確か3年生夏休み前の終業式だったと思う。体育館に集合すると、一人の女子生徒が私の横に近づいて来た。思えば1年ぶりの再会だった。彼女の名前はN嶋さん。1年間のアメリカ留学から帰国したのだ。高校1年生の頃に、勇気を振り絞り告白し、ほんのわずかだけお付き合いをさせていただいたが、野球バカの私とはつり合いがとれるはずもなく、あえなく1か月くらいで振られた。(現在の彼女のご活躍から、当然の結果だったと卒業後30年経って、改めて実感するのである) なぜ、こんな切なく悲しい物語を披露しなければならないのか・・・もうすでにバカバカしささえ感じているのだが、同期会幹事長という大役を仰せつかった身としては、こうした「壁」も乗り越えていかねばならないのだろう。「M台君頑張ってね!」小さなマスコットを手渡してくれた。それはドナルドがバットを持っていたような、いないような・・・(続く)
その日は、夏の大会の初戦の日だった。終業式を終えた野球部員は、大和引地台球場へと向かった。実はこの年の春季大会で野球部は創部51年目で初のベスト16となり、夏の大会での第3シードを獲得していたのだった。その頃の私を「お前の人生の絶頂期だったよな・・・」と、つぶやく野球関係者は数多い。そう、人生の絶頂期。実は、私もそう思っている(笑)。 地区予選3試合で、4ホーマー(1試合3ホーマーを含む)。県大会3回戦では、スリーラン、ソロ、スリーランの3ホーマー、7打点の活躍で勝利を収めたのだ。 話を夏の大会に戻す。N嶋さんからいただいたマスコットを、ユニフォームのズボンのポケットにそっとしまった(青春だったな~・・・)。相手は厚木東高校。榊原郁恵さんの母校。関係ないけど、私は若い頃好きだった。自分の部屋の天井にポスターも張っていた。あの胸の・・・やめておこう。(続く)
試合は、エースM永の立ち上がりを攻められ、6回裏、翠嵐の攻撃を迎える時点で、0-4で負けていた。打順は2番W田主将から。その初球をレフト前、3番Aが同じく初球をライト前へ連続ヒットを放った。無死1・2塁。次打者は私。翠嵐の応援席もようやく盛り上がってきた。私は打席に向かう際に、そっとズボンのポケットに手を添えた。そこにはあのマスコット。「どうか打たせてください・・・」。イヤ、そんな甘い気持ちは数秒後には、「打たねばならぬ」という気持ちに変化するのである。誇張していえば「強迫観念」とでも言えようか・・・ 夏の暑い空は、期待を裏切らずに、「青」一色であった。(続く)
「打たせてください」から、「打たねばならぬ!」という強迫にも似た心情に変化をさせてくれた声の主。 皆さま、誰だと思いますか? スタンドからはっきりと「打てよ~(てめえ~)M台・・・」。(てめえ~は脚色ですけど、本当にそんな感じに、聞こえました!ゴメンナサイ) 声の主は、3年間同じクラスだった、K藤陽子さん。水泳部でした。3年時には国体で8位入賞。NHKにも映っていました。当時、翠嵐のスーパースターでした。 3年間同じクラスとは言っても、褒められることは数少なく、いつも叱られることばかりでしたね。(確か、最近の飲み会でも「え~M台、知らなかったの?」みたいにグサッと心をえぐられた)(続く)
「これは打たないと、後で何言われるかわからんな~」 「とりあえず、W田もAも初球振ったから、俺も初球、思い切りフルスイングしておくか」という具合。それまでの打席では、相手右腕の渾身のストレートに押され気味だった私。この時の初球は何と肩口からのスライダー。フルスイングから放たれた打球はレフトへと飛んだ。夏の青空にぐんぐんと吸い込まれていく打球を見ながら、「あ~、これが本当のホームランってやつなんだな・・・」。 N嶋さんとK藤さんが打たせてくれた(と書いておけばいいんでしょ、まるけん)。スリーランで翠嵐は息を吹き返した。8回裏に、犠牲フライで同点に。その後、延長14回裏、当時監督だった二見先生の思い切った「ヒットエンドラン」のサインに見事S井が応え、その後1死満塁に。2番W田が見事にセンター前へはじき返し、サヨナラで勝利を収めたのだった。(続く)
こうして、当時の試合の詳細を振り返ることができるのは、丸い眼鏡がトレードマークだったT辺が、当時の新聞の切り抜きをこまめにスクラップしてくれていたおかげ。いつぞや忘れたが、それを私がいただいた。今となっては、本当に宝物だと言える。試合の登場こそなかったが、「現役東工大合格間違いなし!」の秀才と謳われたN杉。なんと2年生の12月に入部してきた。修学旅行後だ。彼が初めから入部してきてくれていたら、我々の代はもっと強かったはず。例の大同窓会の際には、「もう、終電なくなるぞ」ってこちらが言うまで、二次会に付き合ってくれた。律儀な男である。1984年夏、わが野球部は熱かった。(終わり)
本連載のスタートにあたっては、ヒロインとして登場するN嶋さんに事前の承諾をいただきました。いまは東南アジア最大手の銀行が日本に設立した証券会社の代表としてご活躍中です。その勇姿がついこないだ、11月18日の日本経済新聞夕刊に掲載されていましたのでお探しください。あ、もう一人のヒロイン、水泳部K藤さんに事前了解もらうの忘れた! ま、いいっすね(笑)。3年間同級のパパ台幹事長とは家族ぐるみのお付き合い。小学校の先生として児童をびびらせてます。(丸山)
パパ台幹事長のDNAを受け継いだ康平くんが11月28日、母校に凱旋したそうです。湘南高校の1年生向けの進路説明会で。1年生の中に、I上大師くんのお嬢さんがいました。秋の戸塚宴会で、パパ台幹事長が大師くんに「秋に高校で何かあるかもよ」と予告していました。大師くんから興奮のメッセージが届きましたので、ご披露します。 ◇ ◇ 以前パパ台幹事長が発した “予言”のサプライズがわかりました。康平君の講演会@母校でした。幸運にも直接質問できる栄誉に浴した娘の「部活と勉強の両立の秘訣は?」への答えは、パパ台幹事長が息子へ送った強烈なメッセージでした。そしてそのメッセージの有難さを、康平君は東大に籍を置いて初めて気づいたとのエピソードが添えられていました。帰宅した娘の目に、星飛雄馬のような炎が!(笑) 康平君&パパ台幹事長、ありがとう!!! 大師
驚きました。パパ台DNAプレゼンツ康平くんとバッテリーを組み、好リードで勝ち星を積み上げてきた先輩捕手の喜入友浩くん(4年)が来春、TBSのアナウンサーになるそうです。今朝のスポーツ紙にありました。喜入くんは福岡の県立修猷館高校から東大理科Ⅰ類のイケメンくん。康平くんとバッテリーを組んで、数々のドラマを演じてきました。取材を受けるうちにマスコミ志望になったそうです。面接では「話す力に自信がある。その力がないと思ったら落としてください」と言って勝負を懸けた(スポニチ)とか。ポケットにトランプをしのばせて手品までやったそうです。内定して語った言葉に、「いつかM台を実況してみたい」とありました。本当に実現してほしいっすね。まずはおめでとう(丸山)
ベースボールマガジン社の「2017ドラフト候補逸材図鑑」なる本が書店に並んでいます。表紙を見れば、右に清宮(早実)左に康平(赤門)。1380円という悪乗りした値段を付けていますので、立ち読みしましょう。中を開けば、大学生コーナーのトップに特集が鎮座。「赤門初のドラフト1位への期待が高まっている」と煽りまくってます。「この秋は将来のためにがまんした」などと、本人も語ってない言葉を勝手に見出しにして、さすが専門雑誌。一方、ここが出してる「大学野球」は買いました。秋のリーグ戦は立教戦に1試合だけ登板したんですが、この試合の38球のことをうまく書いていました。この試合、本人はリリーフ登板で不本意ながら1勝を挙げました。それでもチームメートは「あの場面で宮台が出てきたこと自体が大きい。久しぶりの登板でもあんなに空振りが取れる投手は、東大にはいない」(山本俊投手)と大喜び。じーんと来ました。春が待ちどおしい。(丸山)
「東大・宮台、プロ」という大見出しが躍りました。新聞業界で言う「横トッパン」。ウェブでは「プロ志望明言」と、より踏み込んでいました。気持ちがそっちに傾いているんでしょうか。春のリーグ戦に勝負を賭けると書いています。ただ、記事中には気になる記載も。秋にろくに投げられなかった理由は「左肩腱板(けんばん)炎症」で、2月に別府市の病院で検査を受けるそうです。東大野球部では、浜田監督が「宮台復活委員会」と称するものを作ってトレーナーが動画で日々チェックしているとか。あの剛速球をまた見たいものです。(丸山)
クリスマスイブに届いた康平くんの「プロ志望表明」。上記の日刊スポーツだけでなく、各紙一斉に報じていました。練習納めの後に、康平くんが取材に応じたようです。スポニチが「ロッテがリストアップ」と書けば、サンスポは「阪神が反応」と打つ。24日には日本ハムの栗山監督が取材に応じて「宮台はうちにぴったり」と言ったとか。一方、日刊ゲンダイは「宮台は巨人以外志望」ですと。アンチ巨人で食ってる同紙らしく「アマチュア野球関係者」という怪しいソースのヨタ記事ですが。にわかに騒然となった康平くんのプロ志望表明を、パパ台はどう受け止めたか。メールが来ました。 夫婦揃って「聞いてないし~」です。康平くんの回復状況は、報知によると、キャッチボールの距離は40㍍まで投げられるようになったということです。(丸山)
プロ志望宣言も蚊帳の外だったパパですが、お正月に息子は帰ってきたそうです。就活生らしく、「会社四季報」持参で。あれ、プロ志望宣言したばっかじゃん。パパ台が「お前プロいくんだろう?」と聞くと「行けたらね」と答えたそうです。四季報広げて、「ねぇ、この会社どうかな」と聞かれても、パパ台は「わかりません」と答えるのみ。代わりに「こんなのあるぞ!」と見せたのは翠嵐同期から集めた名刺の束。「えっ支店長とかいるじゃん。ヤッパすごいんだな翠嵐は~」。結構、無邪気な感じですね。「●●新聞とかどうかな?」と聞くと、「マスコミはちょっと信じられないんだよな~」と一部関係者をへこませるお言葉。まあ、スクラム取材受けてるとそうなっちゃうかな。康平くん。翠嵐は大してすごくないけど、きみのパパはすごいんだぞ。なんたって、きみを世に出したんだから。(丸山)
ブログありがとう。でも、慎んで訂正を希望致します。宮台康平を「世」に出したのは、パパ台では無く、ママ台です。パパは「気合い」を注入したのみです。さて、「子はかすがい」とも申しますが、9日の成人の日に「成人式」を迎える息子さんや、娘さんも多いのでは?お子様が成人式を迎えるパパ、ママの同期生の皆様。本当におめでとうございます。(パパ台)
パパ台幹事長は8日、勤務校の野球部を率いて翠嵐と練習試合をやったそうです。そこに康平くんが顔を出しました。「真伍(末弟)に渡しといて」と父に託した品の中に、東京6大学のスター選手のサインボールが。柳裕也投手は横浜高→明治大主将で、中日ドラゴンズの1位指名を受けました。昨年の日米野球で康平くんとチームメートになり、このボールをくれたようです。サインの横に「みやだい♡」と添え書き。ゴリライモみたいな顔した柳投手がそんなめんこいサインをするなんて。このサインボールに狂喜したのは真伍くんでなく、誰あろうパパ台でした。「感動ッス」というタイトルでサインボールの写真付きメールが飛んできた次第。球児は永遠の少年なのです。ちゃんと三男坊に渡したかどうか、定かではありません。(丸山)
その日は、確か3年生夏休み前の終業式だったと思う。体育館に集合すると、一人の女子生徒が私の横に近づいて来た。思えば1年ぶりの再会だった。彼女の名前はN嶋さん。1年間のアメリカ留学から帰国したのだ。高校1年生の頃に、勇気を振り絞り告白し、ほんのわずかだけお付き合いをさせていただいたが、野球バカの私とはつり合いがとれるはずもなく、あえなく1か月くらいで振られた。(現在の彼女のご活躍から、当然の結果だったと卒業後30年経って、改めて実感するのである)
返信削除なぜ、こんな切なく悲しい物語を披露しなければならないのか・・・もうすでにバカバカしささえ感じているのだが、同期会幹事長という大役を仰せつかった身としては、こうした「壁」も乗り越えていかねばならないのだろう。
「M台君頑張ってね!」小さなマスコットを手渡してくれた。それはドナルドがバットを持っていたような、いないような・・・(続く)
その日は、夏の大会の初戦の日だった。終業式を終えた野球部員は、大和引地台球場へと向かった。実はこの年の春季大会で野球部は創部51年目で初のベスト16となり、夏の大会での第3シードを獲得していたのだった。その頃の私を「お前の人生の絶頂期だったよな・・・」と、つぶやく野球関係者は数多い。そう、人生の絶頂期。実は、私もそう思っている(笑)。 地区予選3試合で、4ホーマー(1試合3ホーマーを含む)。県大会3回戦では、スリーラン、ソロ、スリーランの3ホーマー、7打点の活躍で勝利を収めたのだ。
返信削除話を夏の大会に戻す。N嶋さんからいただいたマスコットを、ユニフォームのズボンのポケットにそっとしまった(青春だったな~・・・)。相手は厚木東高校。榊原郁恵さんの母校。関係ないけど、私は若い頃好きだった。自分の部屋の天井にポスターも張っていた。あの胸の・・・やめておこう。(続く)
試合は、エースM永の立ち上がりを攻められ、6回裏、翠嵐の攻撃を迎える時点で、0-4で負けていた。打順は2番W田主将から。その初球をレフト前、3番Aが同じく初球をライト前へ連続ヒットを放った。無死1・2塁。次打者は私。翠嵐の応援席もようやく盛り上がってきた。私は打席に向かう際に、そっとズボンのポケットに手を添えた。そこにはあのマスコット。「どうか打たせてください・・・」。イヤ、そんな甘い気持ちは数秒後には、「打たねばならぬ」という気持ちに変化するのである。誇張していえば「強迫観念」とでも言えようか・・・
返信削除夏の暑い空は、期待を裏切らずに、「青」一色であった。(続く)
「打たせてください」から、「打たねばならぬ!」という強迫にも似た心情に変化をさせてくれた声の主。 皆さま、誰だと思いますか?
返信削除スタンドからはっきりと「打てよ~(てめえ~)M台・・・」。(てめえ~は脚色ですけど、本当にそんな感じに、聞こえました!ゴメンナサイ) 声の主は、3年間同じクラスだった、K藤陽子さん。水泳部でした。3年時には国体で8位入賞。NHKにも映っていました。当時、翠嵐のスーパースターでした。
3年間同じクラスとは言っても、褒められることは数少なく、いつも叱られることばかりでしたね。(確か、最近の飲み会でも「え~M台、知らなかったの?」みたいにグサッと心をえぐられた)(続く)
「これは打たないと、後で何言われるかわからんな~」
返信削除「とりあえず、W田もAも初球振ったから、俺も初球、思い切りフルスイングしておくか」という具合。
それまでの打席では、相手右腕の渾身のストレートに押され気味だった私。この時の初球は何と肩口からのスライダー。フルスイングから放たれた打球はレフトへと飛んだ。夏の青空にぐんぐんと吸い込まれていく打球を見ながら、「あ~、これが本当のホームランってやつなんだな・・・」。
N嶋さんとK藤さんが打たせてくれた(と書いておけばいいんでしょ、まるけん)。
スリーランで翠嵐は息を吹き返した。8回裏に、犠牲フライで同点に。その後、延長14回裏、当時監督だった二見先生の思い切った「ヒットエンドラン」のサインに見事S井が応え、その後1死満塁に。2番W田が見事にセンター前へはじき返し、サヨナラで勝利を収めたのだった。(続く)
こうして、当時の試合の詳細を振り返ることができるのは、丸い眼鏡がトレードマークだったT辺が、当時の新聞の切り抜きをこまめにスクラップしてくれていたおかげ。いつぞや忘れたが、それを私がいただいた。今となっては、本当に宝物だと言える。
返信削除試合の登場こそなかったが、「現役東工大合格間違いなし!」の秀才と謳われたN杉。なんと2年生の12月に入部してきた。修学旅行後だ。彼が初めから入部してきてくれていたら、我々の代はもっと強かったはず。例の大同窓会の際には、「もう、終電なくなるぞ」ってこちらが言うまで、二次会に付き合ってくれた。律儀な男である。
1984年夏、わが野球部は熱かった。(終わり)
本連載のスタートにあたっては、ヒロインとして登場するN嶋さんに事前の承諾をいただきました。いまは東南アジア最大手の銀行が日本に設立した証券会社の代表としてご活躍中です。その勇姿がついこないだ、11月18日の日本経済新聞夕刊に掲載されていましたのでお探しください。
返信削除あ、もう一人のヒロイン、水泳部K藤さんに事前了解もらうの忘れた! ま、いいっすね(笑)。3年間同級のパパ台幹事長とは家族ぐるみのお付き合い。小学校の先生として児童をびびらせてます。(丸山)
パパ台幹事長のDNAを受け継いだ康平くんが11月28日、母校に凱旋したそうです。湘南高校の1年生向けの進路説明会で。
返信削除1年生の中に、I上大師くんのお嬢さんがいました。秋の戸塚宴会で、パパ台幹事長が大師くんに「秋に高校で何かあるかもよ」と予告していました。大師くんから興奮のメッセージが届きましたので、ご披露します。
◇ ◇
以前パパ台幹事長が発した “予言”のサプライズがわかりました。康平君の講演会@母校でした。
幸運にも直接質問できる栄誉に浴した娘の「部活と勉強の両立の秘訣は?」への答えは、パパ台幹事長が息子へ送った強烈なメッセージでした。そしてそのメッセージの有難さを、康平君は東大に籍を置いて初めて気づいたとのエピソードが添えられていました。
帰宅した娘の目に、星飛雄馬のような炎が!(笑) 康平君&パパ台幹事長、ありがとう!!! 大師
驚きました。パパ台DNAプレゼンツ康平くんとバッテリーを組み、好リードで勝ち星を積み上げてきた先輩捕手の喜入友浩くん(4年)が来春、TBSのアナウンサーになるそうです。今朝のスポーツ紙にありました。
返信削除喜入くんは福岡の県立修猷館高校から東大理科Ⅰ類のイケメンくん。康平くんとバッテリーを組んで、数々のドラマを演じてきました。取材を受けるうちにマスコミ志望になったそうです。
面接では「話す力に自信がある。その力がないと思ったら落としてください」と言って勝負を懸けた(スポニチ)とか。ポケットにトランプをしのばせて手品までやったそうです。
内定して語った言葉に、「いつかM台を実況してみたい」とありました。本当に実現してほしいっすね。まずはおめでとう(丸山)
ベースボールマガジン社の「2017ドラフト候補逸材図鑑」なる本が書店に並んでいます。表紙を見れば、右に清宮(早実)左に康平(赤門)。1380円という悪乗りした値段を付けていますので、立ち読みしましょう。中を開けば、大学生コーナーのトップに特集が鎮座。「赤門初のドラフト1位への期待が高まっている」と煽りまくってます。「この秋は将来のためにがまんした」などと、本人も語ってない言葉を勝手に見出しにして、さすが専門雑誌。
返信削除一方、ここが出してる「大学野球」は買いました。秋のリーグ戦は立教戦に1試合だけ登板したんですが、この試合の38球のことをうまく書いていました。この試合、本人はリリーフ登板で不本意ながら1勝を挙げました。それでもチームメートは「あの場面で宮台が出てきたこと自体が大きい。久しぶりの登板でもあんなに空振りが取れる投手は、東大にはいない」(山本俊投手)と大喜び。じーんと来ました。春が待ちどおしい。(丸山)
「東大・宮台、プロ」という大見出しが躍りました。新聞業界で言う「横トッパン」。ウェブでは「プロ志望明言」と、より踏み込んでいました。気持ちがそっちに傾いているんでしょうか。春のリーグ戦に勝負を賭けると書いています。
返信削除ただ、記事中には気になる記載も。秋にろくに投げられなかった理由は「左肩腱板(けんばん)炎症」で、2月に別府市の病院で検査を受けるそうです。東大野球部では、浜田監督が「宮台復活委員会」と称するものを作ってトレーナーが動画で日々チェックしているとか。あの剛速球をまた見たいものです。(丸山)
クリスマスイブに届いた康平くんの「プロ志望表明」。上記の日刊スポーツだけでなく、各紙一斉に報じていました。練習納めの後に、康平くんが取材に応じたようです。スポニチが「ロッテがリストアップ」と書けば、サンスポは「阪神が反応」と打つ。24日には日本ハムの栗山監督が取材に応じて「宮台はうちにぴったり」と言ったとか。一方、日刊ゲンダイは「宮台は巨人以外志望」ですと。アンチ巨人で食ってる同紙らしく「アマチュア野球関係者」という怪しいソースのヨタ記事ですが。
返信削除にわかに騒然となった康平くんのプロ志望表明を、パパ台はどう受け止めたか。メールが来ました。
夫婦揃って「聞いてないし~」です。
康平くんの回復状況は、報知によると、キャッチボールの距離は40㍍まで投げられるようになったということです。(丸山)
プロ志望宣言も蚊帳の外だったパパですが、お正月に息子は帰ってきたそうです。就活生らしく、「会社四季報」持参で。あれ、プロ志望宣言したばっかじゃん。
返信削除パパ台が「お前プロいくんだろう?」と聞くと「行けたらね」と答えたそうです。
四季報広げて、「ねぇ、この会社どうかな」と聞かれても、パパ台は「わかりません」と答えるのみ。代わりに「こんなのあるぞ!」と見せたのは翠嵐同期から集めた名刺の束。「えっ支店長とかいるじゃん。ヤッパすごいんだな翠嵐は~」。結構、無邪気な感じですね。
「●●新聞とかどうかな?」と聞くと、「マスコミはちょっと信じられないんだよな~」と一部関係者をへこませるお言葉。まあ、スクラム取材受けてるとそうなっちゃうかな。
康平くん。翠嵐は大してすごくないけど、きみのパパはすごいんだぞ。なんたって、きみを世に出したんだから。(丸山)
ブログありがとう。でも、慎んで訂正を希望致します。
返信削除宮台康平を「世」に出したのは、パパ台では無く、ママ台です。パパは「気合い」を注入したのみです。
さて、「子はかすがい」とも申しますが、9日の成人の日に「成人式」を迎える息子さんや、娘さんも多いのでは?
お子様が成人式を迎えるパパ、ママの同期生の皆様。本当におめでとうございます。(パパ台)
パパ台幹事長は8日、勤務校の野球部を率いて翠嵐と練習試合をやったそうです。そこに康平くんが顔を出しました。「真伍(末弟)に渡しといて」と父に託した品の中に、東京6大学のスター選手のサインボールが。柳裕也投手は横浜高→明治大主将で、中日ドラゴンズの1位指名を受けました。昨年の日米野球で康平くんとチームメートになり、このボールをくれたようです。サインの横に「みやだい♡」と添え書き。ゴリライモみたいな顔した柳投手がそんなめんこいサインをするなんて。
返信削除このサインボールに狂喜したのは真伍くんでなく、誰あろうパパ台でした。「感動ッス」というタイトルでサインボールの写真付きメールが飛んできた次第。球児は永遠の少年なのです。ちゃんと三男坊に渡したかどうか、定かではありません。(丸山)