神奈川県立横浜翠嵐高校を、1985年に卒業した大人達の為の情報を載せていきます。 連絡はこちらまで↓ yokohamasuiran1985★★★ (★★★は@gmail.comに変更してください) もしくは幹事団までお願いします
浜銀の研修施設はハマボウル側の入り口から入りますが、守衛さんが立っていて気安く入れない感じ。しかし、「2年5組同窓会会場」という張り紙があったので安心しました。守衛さんも笑顔で「こちらです」と案内してくれました。エレベーターで9階まで上がると、立食パーティー会場が用意されていました。入り口の関所に、待ち構えていたのは本日の施主、K野監督。既に越川先生もいます。窓からは天理ビル、シェラトンホテル、キャメロットホテルの夕景、そして足元に帷子川が。「ここに体育祭の後、Y久が飛び込んだんだよな」とサッカー部K嶋くんが懐かしんでいました。時刻は18時。集まった男女が20人を超えた頃、青い派手なシャツを着たI村司会者がマイクを握ります。「それでは2-5映画祭を始めたいと思います。本日はほかの組の方までお集まりいただいてありがとうございます。僕なら誘われても来なかったと思います」。これで最初の爆笑をとりました。おいおい。失礼な。(続く)
I村司会者の口上は、まずはお詫びから入りました。「今日は映画祭と銘打って集まっていただきましたが、映画は上演できません。誠に申し訳ありません。本当のお詫びは実名と顔を出してやるものだと思いますので、僕もこのように顔を見せております」ん!? これは時事ネタか。某大学アメフト部に着想を得たようです。「今日の会合を前に、僕はK野監督から呼ばれました。『オレの初期の拙い作品を世間にさらすようなマネは許さん。映画祭、最初の1プレーでつぶしてこい』。K野監督は僕にそう命令しました。しかし、今日の呼びかけ人のT田コーチは『映画祭、やんなきゃ意味ないよ』と僕に迫りました。板挟みになって僕はどうしたらいいのか本当に悩みました」会場は、いきなりのI村劇場に抱腹絶倒。一同、のたうち回っていました。(続く)
続いて、I村司会者が欠席者をなで斬りにしました。いないのをいいことに、家庭内がゴタゴタしてるだの、本当はアラブ人だっただの、昔はもてたのに今は面相が大変わりしているだの、このクラスで欠席してしまうとI村司会者から好き放題言われてしまいます。2-5で欠席するときは、I村司会者にメッセージを託しておけばちゃんと読んでくれますので、今後はそうした方がネタにされずに済みます。参考にしてください。女性にはバスケ部のK保さんとか子供の学校行事で来られないという人が複数ありましたね。中には硬式テニス部T島さんのように結婚記念日だというおめでたい方も。やっと越川先生にマイクを渡すまでに10分はかかったでしょうか。(続く)
マイクを握った越川先生からは懺悔の言葉が飛び出しました。「私は、新採用で担任を持ったことを、皆さんにおわびしなければなりません」。横浜市職員だった越川先生は30歳を過ぎて、教員への転身を志したそうです。当時、ベテラン教師に見えて、実はルーキーだったのでした。この場で個人史が明かされました。元々、大学で中国語を専攻した越川先生は、最初は銀行に就職しましたが、やめて横浜市の職員になりました。中国上海と姉妹都市だった横浜市で、語学を生かせる仕事をしたいと考えたのです。しかし、文化大革命で中国との交流は断絶。夢破れた先生は、教員への転身を図ったのでした。既に結婚していて、奥さんにはあきれられたそうです。神奈川県教委では「15の春を泣かせるな」を合言葉に高校100校新設計画の最中。まんまと越川先生も採用試験に通って、翠嵐高校に配属されたそうです。「今なら、教わる側の立場に合わせた話ができるんですけど、あの頃はまだ未熟でした」。率直な謝罪でした。越川先生の政治経済を3年で履修していた僕は、授業中寝てばかりいたのも自分のせいではないと、得心したのでした。(続く)
越川先生の口上も案外短く終わって、乾杯です。ビールが行き渡って、I村司会者の指名で不肖、私(丸山)が登壇しました。こういう舞台ですから、正装しています。あの球団のユニフォームで。「皆さん、こんばんは。日本ハムファイターズの宮台康平です。今日は皆さんの年に合わせてこの番号を付けてきました」「52」を見せて、つかみの笑いを獲得しました。3年前の同窓会以来、神宮球場や鎌倉パブリックゴルフ場、各クラスや部活の飲み会が活性化したことを報告して、本日の映画祭への祝辞を述べました。挨拶とスカートは短い方がいいので、さっさと乾杯。一斉にグラスを重ねました。発声の後も、私、レプリカユニフォームで会場を回ったのでした。(続く)
乾杯の後は、あっちこっちで話の輪ができました。ビールを差しつ差されつの放談会です。医大教授になったS古くんと話していると、A子さんがやって来て、「S古先生、ちょっと相談したかったの」と健康相談会が始まりました。「次の同期会では、出席した医者にブースを用意して健康相談コーナー作ろうかねえ」と話していると、I村司会者が目ざとく見つけました。I村くんはマイクを握って、「皆さん、本日は健康相談をS古医師が受け付けております。体温が急に上がってしまうとか、イライラしてしまうとか、そういう症状でお悩みだと思いますので、どうぞ遠慮なくご相談ください。なお、S古先生が最も得意なのは、乳がんの触診だそうです」。再び、会場は爆笑に包まれました。(続く)
ご存知の通り、同期の仲間を失ってしまったので、おちゃらけた連載はここまでにしますね。しばらく喪に服しましょう。いつか、本当の映画祭が開けますように。(丸山)
浜銀の研修施設はハマボウル側の入り口から入りますが、守衛さんが立っていて気安く入れない感じ。しかし、「2年5組同窓会会場」という張り紙があったので安心しました。守衛さんも笑顔で「こちらです」と案内してくれました。エレベーターで9階まで上がると、立食パーティー会場が用意されていました。
返信削除入り口の関所に、待ち構えていたのは本日の施主、K野監督。既に越川先生もいます。窓からは天理ビル、シェラトンホテル、キャメロットホテルの夕景、そして足元に帷子川が。「ここに体育祭の後、Y久が飛び込んだんだよな」とサッカー部K嶋くんが懐かしんでいました。時刻は18時。集まった男女が20人を超えた頃、青い派手なシャツを着たI村司会者がマイクを握ります。
「それでは2-5映画祭を始めたいと思います。本日はほかの組の方までお集まりいただいてありがとうございます。僕なら誘われても来なかったと思います」。これで最初の爆笑をとりました。おいおい。失礼な。(続く)
I村司会者の口上は、まずはお詫びから入りました。
返信削除「今日は映画祭と銘打って集まっていただきましたが、映画は上演できません。誠に申し訳ありません。本当のお詫びは実名と顔を出してやるものだと思いますので、僕もこのように顔を見せております」
ん!? これは時事ネタか。某大学アメフト部に着想を得たようです。
「今日の会合を前に、僕はK野監督から呼ばれました。『オレの初期の拙い作品を世間にさらすようなマネは許さん。映画祭、最初の1プレーでつぶしてこい』。K野監督は僕にそう命令しました。しかし、今日の呼びかけ人のT田コーチは『映画祭、やんなきゃ意味ないよ』と僕に迫りました。板挟みになって僕はどうしたらいいのか本当に悩みました」
会場は、いきなりのI村劇場に抱腹絶倒。一同、のたうち回っていました。(続く)
続いて、I村司会者が欠席者をなで斬りにしました。いないのをいいことに、家庭内がゴタゴタしてるだの、本当はアラブ人だっただの、昔はもてたのに今は面相が大変わりしているだの、このクラスで欠席してしまうとI村司会者から好き放題言われてしまいます。2-5で欠席するときは、I村司会者にメッセージを託しておけばちゃんと読んでくれますので、今後はそうした方がネタにされずに済みます。参考にしてください。
返信削除女性にはバスケ部のK保さんとか子供の学校行事で来られないという人が複数ありましたね。中には硬式テニス部T島さんのように結婚記念日だというおめでたい方も。
やっと越川先生にマイクを渡すまでに10分はかかったでしょうか。(続く)
マイクを握った越川先生からは懺悔の言葉が飛び出しました。
返信削除「私は、新採用で担任を持ったことを、皆さんにおわびしなければなりません」。横浜市職員だった越川先生は30歳を過ぎて、教員への転身を志したそうです。当時、ベテラン教師に見えて、実はルーキーだったのでした。この場で個人史が明かされました。
元々、大学で中国語を専攻した越川先生は、最初は銀行に就職しましたが、やめて横浜市の職員になりました。中国上海と姉妹都市だった横浜市で、語学を生かせる仕事をしたいと考えたのです。しかし、文化大革命で中国との交流は断絶。夢破れた先生は、教員への転身を図ったのでした。既に結婚していて、奥さんにはあきれられたそうです。
神奈川県教委では「15の春を泣かせるな」を合言葉に高校100校新設計画の最中。まんまと越川先生も採用試験に通って、翠嵐高校に配属されたそうです。
「今なら、教わる側の立場に合わせた話ができるんですけど、あの頃はまだ未熟でした」。率直な謝罪でした。越川先生の政治経済を3年で履修していた僕は、授業中寝てばかりいたのも自分のせいではないと、得心したのでした。(続く)
越川先生の口上も案外短く終わって、乾杯です。ビールが行き渡って、I村司会者の指名で不肖、私(丸山)が登壇しました。こういう舞台ですから、正装しています。あの球団のユニフォームで。
返信削除「皆さん、こんばんは。日本ハムファイターズの宮台康平です。今日は皆さんの年に合わせてこの番号を付けてきました」
「52」を見せて、つかみの笑いを獲得しました。
3年前の同窓会以来、神宮球場や鎌倉パブリックゴルフ場、各クラスや部活の飲み会が活性化したことを報告して、本日の映画祭への祝辞を述べました。挨拶とスカートは短い方がいいので、さっさと乾杯。一斉にグラスを重ねました。発声の後も、私、レプリカユニフォームで会場を回ったのでした。(続く)
乾杯の後は、あっちこっちで話の輪ができました。ビールを差しつ差されつの放談会です。医大教授になったS古くんと話していると、A子さんがやって来て、「S古先生、ちょっと相談したかったの」と健康相談会が始まりました。「次の同期会では、出席した医者にブースを用意して健康相談コーナー作ろうかねえ」と話していると、I村司会者が目ざとく見つけました。I村くんはマイクを握って、「皆さん、本日は健康相談をS古医師が受け付けております。体温が急に上がってしまうとか、イライラしてしまうとか、そういう症状でお悩みだと思いますので、どうぞ遠慮なくご相談ください。なお、S古先生が最も得意なのは、乳がんの触診だそうです」。再び、会場は爆笑に包まれました。(続く)
返信削除ご存知の通り、同期の仲間を失ってしまったので、おちゃらけた連載はここまでにしますね。しばらく喪に服しましょう。いつか、本当の映画祭が開けますように。(丸山)
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